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ノムが僕のことをブログに


2019/6/22 および 23と、

連チャンで書いてくれたので、

僕も義理で書いとく。

学生時代、先輩に

「楽器に弾かされている連中しかいない中で

 おまえだけは楽器を操っている」

とほめられたことがある。

「楽器に弾かされてる」

「楽器を操っている」。

同じようなことをノムが数年前に言ってて、

『表現に至っていない』

『表現に至っている』という、

ストイックに演劇をやっていた彼らしいセリフ。

この言い回し、

僕は各所で自分の言葉のように使っている。

そもそも「楽器で音を出してる自分」

を人に見てもらえればいいのか?

「ただ音を出している『だけ』」なのに。

「表現の本来の意味」ってそういうことじゃないだろ?

みたいなこと。  

彼のブログにもあるように

こないだ2人で初めて飲んだわけだが、

結構「表現」に対して厳しい事を言ってたのが

印象的で、

(「頑張ったから認めてほしい、

 と情に訴えられても困る、そんなのは違う」、とか)

その気風の良さは痛快でもあった。

自分に厳しく『不義理をしてしまう自分を恥に思う』

みたいところは、あいつの信用できるところ。

出会ったころは、

自分に厳しすぎて心のバランスを崩してたのか、

ステージはガチャガチャで悲鳴を上げているようで

楽しそうでなかったりと、

若干頼りなかったが。

今となってはその過去もネタにして笑えるくらい

落ち着いた精神状態…なのか?

とりあえず、現状はそう見える。

結婚もして、ようやく少しは

自分(=人)を信じることができるようになったか。

僕は彼のギターの右手をよくほめるのだが、

むしろ最大のストロングポイントは、

「熱量でなく、メロディと詩での勝負」

をモットーとするソングライティング。

相方を本当に大切に思っている男。

見てるか知らんが、

ほめてほしいようなので、ちゃんと活字に残したぞ。


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