「予定調和」に対する「意外性」の、
ほど良いバランス。
ポップとアバンギャルドは
表裏一体、とはよくいったもの。
そのさじ加減は『好みの問題』なのかもね。
言いたくないが。100歩譲って。
メロディメイカーの役割とは
「予定調和」のなかに「意外性」を
いかにセンスよく、効果的にほうり込めるか
であると思われる。
これは詩やアレンジも同じ。
チマチマ細やかに入れるのか、
大味にガツンと入れるのか。
僕は後者が好み。
~ ここから毒舌になります ~
歌と演奏力ももちろん最重要だが 「声の大きさ」と「激しい演奏」に頼り、
さらに「さりげない上から目線」のステージングと。
その全てが、
判で押したような予定調和だらけ。
弾き語り界隈の連中には、
もういい加減、本当に、うんざりしている。
9割以上ゴミだろう。
客も悪い。
『客を責める前に、まず自分の演奏は省みよ』
というしたり顔のミュージシャン連中もいるが、
そういう連中のライヴに乗り込んで
悪意たっぷりの直接的な邪魔したら
なんて言うのかな。
(「戦争反対、自衛隊反対、あくまで対話を」
という人にいきなり殴り掛かったら、
どういう反応を示すのかな。)
ゼロに何をかけてもゼロなのである。
音楽を純粋に楽しみに来てるならいいが、
それとは関係のない部分に
宗教チックに拠りどころを求め、
足しげく会場に通い、
金を払っているという名分のもと
偉そうにしてるんだからな。
(そういう人間には
金を払わせたくないんだが…。
来なくてもいいというか…。)
(僕ら界隈のお客には、変な人がいないことを
誇りに思う。)
ミュージシャンも、
「音楽的ユーモアを取り入れるための
工夫なんてせずとも良し」
「むしろ素人にわかりやすくするため
工夫なんてしないほうがよし」
「広告代理店が売りやすい、とか、
テレビが使いやすい、キャラ設定を」
ともなるわ。
そういうミュージシャンが作った音楽を
聞いて育った今の子供たちが、
自分も音楽をやってみたい、となったときに
工夫をするなんて発想が出るわけなく。
今じゃ「意外性」を入れないのが
普通なんではなかろうか?
金太郎飴みたいな、
どこを切り取っても同じ音と、
耳障りの良い言葉が並ぶ音楽ばかりだな。
「これをやれば売れる」というはないが
「これをやらなければ売れない」という
パッケージがあるのは事実。
そんな楽曲制作のセオリーが、
1980年代あたりから脈々と受け継がれて、
今に至るわけだ。恐ろしいですな。
歳をとると、
最近の若いもんは、
と現状を憂いたくなる気持ち、
なんとなくわかってきた。
頭の中でもやもやしてたものが整理され、
「良い」「悪い」について、
好みの問題でなく、
根拠をもって話せるようになっちゃうから。
ただ、自分の場合、
「昔はよかった」と、
年上マウンティングして思い出に浸るじいさん連中とは
一味ちがう。
10代の頃から、
音楽の現状を憂いていたからな。
いや、小学生2年生の頃、
狂ったように「猫ふんじゃった」を弾いてる
同級生たちを冷ややかな目で見ていたな。
今でも覚えている。
それは音楽とは言わないよ?っつってね。
青春時代に流行っていた、
ビーズとか小室哲哉とか
ああいう作られた偶像みたいなのを
ほんとうに軽蔑してた。
テレビや雑誌が仕掛けた戦略で、
本質的なものではないと
なんとなくわかってたんだよな。
昔もひどかった。
だが今のほうがもっとひどいな。
もはや「没個性こそ正義」みたいな感じだもん。
少なくとも弾き語りシーンは、 演者も客も、亡国の輩だらけ。
亡国の輩って意味わかる? 「国を亡ぼすもと」ってことだよ。