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好き嫌いでなく、良い悪いで判断したい

更新日:2020年4月16日


「好き嫌い」ほど、

不安定なものはない。

「良い悪い」であれば、

逆に「好きだが悪い」「嫌いだが良い」

という、是々非々の判断も出来る。

そう思う根拠を自分自身で整理したい。

数値化したいのだ。

過半数以上の人が納得できる基準で

物事をとらえたいのだ。

■ 「好きか嫌いか」好みではなく

 「良いか悪いか」客観的で根拠のある判断。

これは学生の頃からずっと思っていること。

学生時代、所属していた音楽サークルにて、

音楽を追求することが楽しいのではなく、

演者になりきるのが楽しいみたいな、先輩後輩。

特に後輩。

エックスや小室哲哉や筋肉少女帯やニルバーナ等、

「音楽的」とは言い難い、

産業音楽を趣向する連中が多かった。

※ まあ、僕も若気の至りで

 そういうシャバいところなかったといえば、

 それは嘘になるけど。

 学祭でアルフィーのコピーバンドに

 先輩から誘われて、面白がってやったけど

 あくまで自虐ネタとしてよ。

そいつらに「いつまでそんなの聴いてるの?」と聞くと

「いいじゃないですか、人の好みなんて自由です」

「人にとやかく言われる筋合いはないですよ」と。

その『現実逃避』のような返答に対して、

先輩として、部長として、

論破してやることができなかった責任を感じている

(自分も大概にして、サイコパス)。

■ ありがちなのが、

・「自分をほめてくれるからあの人は音楽性も高い」

・「人間的に嫌いだからあの人の音楽は悪い」

みたいな評価。

ついつい僕もやってしまうが。

こんなにも直情的で情けないことは

音楽人としてないではないか。

正確に言うと、

・「あの人は良い人だが、音楽性は低い」

 「そもそも下手過ぎて話にならん」

・「あの人は嫌いだが、認めざるを得ない」

みたいなことになるはず。

是々非々で判断する必要がある。

■ 話は少し脱線するが、

僕が望む評価は、

「好き嫌いは置いておいて、

非常に良いものだと思う」

「音楽性は高い、努力している、

人間性や声の質等々はさておき」

というもの。

好きになってもらう必要まではないわ

というスタイル。

音楽性ではなく人間性で勝負する音楽家が

特に弾き語りSSWシーンには多く、

それに対するアンチテーゼ。

■ 音楽性の高さとはなんなのか?

これについては、そのうちまたふれるが、

・ 楽曲(メロディ・アレンジ)が練られている

・ 詞が詩になっている

・ 演奏力、歌唱力、( ⇒ 表現力 )

が基準になるだろう。

■ 最後に、

「好き嫌い、良い悪い」の具体例を挙げておこう。

例:

① 嫌いだし、悪いもの

代表核は、先日自分がTwitterでコキおろしてやった、

エックスジャパンのヨシキであろう。

ただのムチ打ちのナルシスト。

音楽も発言も究極に子供じみている。

子供だましというより、

あいつ自体、自意識過剰な子供なのだろうな。

なんじゃこりゃ。

あと、ビーズね。あれこそ亡国の文化。

納得いかないのが、①のファンの連中は、

自分たちが恥ずかしい存在だということに

まるで気がついて無いこと。

宗教みたいな盲目的なところがある。

② 嫌いだが、良いもの

僕のなかでは坂本龍一。

政治的な考え方が真逆すぎる。

言っちゃあ悪いが真性のバカだと思う。

だが、音楽的には大好き。

とても尊敬している。

③ 好きだが、悪いもの

僕のなかではアルフィーとか。

いわゆる子供だまし系。

音楽的に野心的なところも多かったし、

そのわりに発言も気取ってなく好感が持てたが。

青臭すぎる歌詞とか衣装とか、

世界観が恥ずかしすぎる。

※ このカテゴリは難しい。

 ①のファンと違い、どれだけ客観視できるかどうか。

④ 好きで、良いもの

①の逆、良いものだから好き

がはっきりしてる。

当サイト、「私が愛した音楽」コーナー参照。


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