「好き嫌い」ほど、
不安定なものはない。
「良い悪い」であれば、
逆に「好きだが悪い」「嫌いだが良い」
という、是々非々の判断も出来る。
そう思う根拠を自分自身で整理したい。
数値化したいのだ。
過半数以上の人が納得できる基準で
物事をとらえたいのだ。
■ 「好きか嫌いか」好みではなく
「良いか悪いか」客観的で根拠のある判断。
これは学生の頃からずっと思っていること。
学生時代、所属していた音楽サークルにて、
音楽を追求することが楽しいのではなく、
演者になりきるのが楽しいみたいな、先輩後輩。
特に後輩。
エックスや小室哲哉や筋肉少女帯やニルバーナ等、
「音楽的」とは言い難い、
産業音楽を趣向する連中が多かった。
※ まあ、僕も若気の至りで
そういうシャバいところなかったといえば、
それは嘘になるけど。
学祭でアルフィーのコピーバンドに
先輩から誘われて、面白がってやったけど
あくまで自虐ネタとしてよ。
そいつらに「いつまでそんなの聴いてるの?」と聞くと
「いいじゃないですか、人の好みなんて自由です」
「人にとやかく言われる筋合いはないですよ」と。
その『現実逃避』のような返答に対して、
先輩として、部長として、
論破してやることができなかった責任を感じている
(自分も大概にして、サイコパス)。
■ ありがちなのが、
・「自分をほめてくれるからあの人は音楽性も高い」
・「人間的に嫌いだからあの人の音楽は悪い」
みたいな評価。
ついつい僕もやってしまうが。
こんなにも直情的で情けないことは
音楽人としてないではないか。
正確に言うと、
・「あの人は良い人だが、音楽性は低い」
「そもそも下手過ぎて話にならん」
・「あの人は嫌いだが、認めざるを得ない」
みたいなことになるはず。
是々非々で判断する必要がある。
■ 話は少し脱線するが、
僕が望む評価は、
「好き嫌いは置いておいて、
非常に良いものだと思う」
「音楽性は高い、努力している、
人間性や声の質等々はさておき」
というもの。
好きになってもらう必要まではないわ
というスタイル。
音楽性ではなく人間性で勝負する音楽家が
特に弾き語りSSWシーンには多く、
それに対するアンチテーゼ。
■ 音楽性の高さとはなんなのか?
これについては、そのうちまたふれるが、
・ 楽曲(メロディ・アレンジ)が練られている
・ 詞が詩になっている
・ 演奏力、歌唱力、( ⇒ 表現力 )
が基準になるだろう。
■ 最後に、
「好き嫌い、良い悪い」の具体例を挙げておこう。
例:
① 嫌いだし、悪いもの
代表核は、先日自分がTwitterでコキおろしてやった、
エックスジャパンのヨシキであろう。
ただのムチ打ちのナルシスト。
音楽も発言も究極に子供じみている。
子供だましというより、
あいつ自体、自意識過剰な子供なのだろうな。
なんじゃこりゃ。
あと、ビーズね。あれこそ亡国の文化。
納得いかないのが、①のファンの連中は、
自分たちが恥ずかしい存在だということに
まるで気がついて無いこと。
宗教みたいな盲目的なところがある。
② 嫌いだが、良いもの
僕のなかでは坂本龍一。
政治的な考え方が真逆すぎる。
言っちゃあ悪いが真性のバカだと思う。
だが、音楽的には大好き。
とても尊敬している。
③ 好きだが、悪いもの
僕のなかではアルフィーとか。
いわゆる子供だまし系。
音楽的に野心的なところも多かったし、
そのわりに発言も気取ってなく好感が持てたが。
青臭すぎる歌詞とか衣装とか、
世界観が恥ずかしすぎる。
※ このカテゴリは難しい。
①のファンと違い、どれだけ客観視できるかどうか。
④ 好きで、良いもの
①の逆、良いものだから好き
がはっきりしてる。
当サイト、「私が愛した音楽」コーナー参照。