父親が音楽が好きな関係で、
(一人っ子で他にやることがなかったというのもあるが)
幼少時より自力で彼のレコードをかけられる環境にあった。
調べたら、ゴダイゴのモンキーマジックが1980年の作品らしく、
6-7歳からオーディオをいじっていたのは、間違いのない記憶。
ポールモーリアとかリチャードクレイダーマンとか映画音楽とか
あとサンタナとか、インストが多かったか。
ビートルズももちろんあったがあまり好みではなかった。
もっともレコードに勝手に触ることは父親に禁止されていたため、
バレたとき、怒らるかと思ったのだが、
逆にテープへの編集方法を詳しく教えてくれた。
「音楽やっている分には怒られない」ということを経験した瞬間の一つだろう。
小学生のなけなしのお小遣いで、
シングル中心に何枚のレコードを買ったか。
夏色のナンシー、アルフィー、渚のはいから人魚、
雨音はショパンの調べ、桑田佳祐ソロ、
はいからさんが通る、C-Girl、長ぶち 他
アルバムは今はなき「YOU&I」に足しげく通いレンタルしたものだ。
テープへのお気に入りの編集は、生きがいだった分、
ノイズ、音飛び、好きな曲の頭出しの困難、との闘いでもあった。
録音中、レコードにそれらの不具合があれば、
テープの録音を止め、頭出しをして最初からやり直し。
テープの頭出しに失敗して前の曲まで消してしまったら地獄。
そういう弊害に悩まされ、不便な思いは相当してきた。
だから友人の家でCDプレイヤーに触れたときの衝撃、
操作性、音のクリアさへの感動は忘れられない。
自宅にCDコンポが来たのは遅く、
1989年、中学3年生かと思われる。
嬉しさの反面、
今後の変化の大きな流れ
「今までのレコードはどうなってしまうのか」と途方に暮れたものだが、
ラジオでビリー・ジョエルを知り、立ち止まる間もなく
CD 収集の青春にのめりこんでくこととなる。
理論上、レコードのほうが音がいいのは当然なのだろうが、
厳密にいえばそれを再現できる環境なんてないのも事実。
「針のノイズが暖かい」なんていうのは、
ただのノスタルジー以外の何物でもなく、
いい音楽という意味では本質的ではない。
逆にCDの大きな弊害は、
・ ジャケット、うちジャケのアートが楽しめない
・ A面/B面が続いてしまう
・ 最後にボーナストラックがついてしまう 等、
アルバムアーティストが提示したトータルアートの純度が
下がってしまうというのはある。
レコードの再生環境があり、
選択肢が多いのに越したことはないのは当然である。
レコードのほうが好きだというのもわからなくもないが、
CDよりレコードのほうが優れているということはない。
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